おかげ横丁に行く。
おかげ横丁とは?
『内宮の門前町「おはらい町」の中ほどで、お伊勢さんの「おかげ」』という感謝の気持を持って、平成5年7月に誕生させたまちが「おかげ横丁」です。
いわゆるテーマパークではないので、入場料といったものはありません。約2700坪の敷地内には、江戸から明治にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現され、 この地方の魅力が凝縮されており、三重の老舗の味、名産品、歴史、風習、人情まで、一度に体感できます。
おかげ横丁の街並み
江戸末期から明治初期の風情をテーマに、伊勢路の代表的な建築物を移築、再現しています。 特徴は、伊勢人が“神様のお住まいと同じ平入りでは恐れ多い”と妻の部分に玄関を設けた「妻入り」と、雨風の強い伊勢ならではの外壁の仕上げ「きざみ囲い」などが主です。 建築材料は、トガ(栂)材を使用しています。
日本のふるさと伊勢
江戸時代、当時の人口の1/5にあたる人々が、日本全国から「伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と伊勢へ押し寄せました。 居住移動することを制限され、満足な宿泊施設もない当時の参宮は、まさに命懸けの旅であったことでしょう。
しかし、伊勢の人々は、自分の施しが神様に届きますようにと「おかげの心」で「施行」と呼ばれる振る舞いを行い、物・心の両面から旅人を支え、 あたたかく迎えたと言われています。時代は変わり、平成の世となりましたが、伊勢人の中には、日々あることを神に感謝する「神恩感謝」の精神が受け継がれています。 そして、自然の恵みに感謝し、日々おかげさまの心で働く、伊勢人たちによって息づく町、それが「おかげ横丁」です。
伊勢名物
伊勢うどん ふくすけ
鬼瓦にあしらわれた福助が目印のお店は、ずんぐりと太い麺に、たまり醤油を使った農褐色のタレをかけて食べる「伊勢うどん」のお店。
江戸時代から「生きているうちに食わなければ、死んで閻魔に叱られる」と言い囃されるほど人気だった伊勢街道沿いのうどん屋「豆腐六(どぶろく)」をイメージしており、 「食べると福がある」とも言われたことに因んで、店名は「ふくすけ」と名付けられました。
ふくすけの伊勢うどんは、季節ごとのメニューもあります。離乳食の赤ちゃんからご年配の方まで、誰もが美味しくいただける伊勢うどんです。
ご注文のお客様には、おかもちによく似た“たじ”で運びます。中の仕切りはそのままお盆として利用されます。
伊勢銘菓 赤福
伊勢らしい切妻屋根は間口を広げるために高くし、正面に掲げた横書きの大きな看板には金色で赤福の二文字。妻入りの軒先にかかる海老茶色ののれんをくぐると、 朱塗りのかまどから湯気が立ち昇っています。地元度会産の番茶を焙じる香ばしい薫りが広がる店内では、餅入れさんと呼ぶ女性職人が繊細な指先で、 赤福餅の三筋の清流を一つ一つ真心こめて形づくります。
店内は畳敷きの座敷と、清流で知られる五十鈴川に面した縁側。そして、川向うには伊勢で一番高い朝熊山を始め、神さまのご用材を養う神路山の緑の山並をご覧いただけます。
参拝が始まる、朝5時より営業しています。
伊勢名産 豚捨
名産伊勢肉 豚捨 《ぶたすて》 は、明治42年創業の和牛の専門店です。
創業以来、厳選された上質の伊勢肉だけを販売しております。
「松阪肉は知ってるけど伊勢肉なんて知らない」といわれる方も多いと思いますが、もともと三重県には伊勢牛と伊賀牛しかありませんでした。
当時、明治10年頃、伊勢市田丸町(現在の玉城町)から東方へと行われた牛追い道中の勇壮な商いにより、伊勢肉の名は全国に知れ渡りました。
その後昭和10年頃から松阪牛が登場し、昭和35年頃から各地の食肉店で“松阪肉” を看板にあげる店が増えてきました。
その昔、豚を飼っていた捨吉という男が 食肉店をはじめた。 人呼んで「豚捨・・・ぶたすて 」。 それがいつの間にか屋号になった。 ところがおかしな伝説も生まれた。 この店の牛肉があまりにもうまいから 「豚なんか捨てちまえ!」と客が豚肉を投げ捨てた。 というのが豚捨のはじまりだという。
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