内宮マップ 御正宮 荒祭宮 新御敷地 子安神社 参集殿 神楽殿 宇治橋 五十鈴川御手洗場 風日祈宮
内宮を参拝する。
御正宮(ごしょうくう)
天照大神を祀る伊勢神宮内宮の御正宮(ごしょうぐう)は、石段の下からの写真撮影のみ許可されている。 社殿の中心の御正宮は四重の垣根に取り囲まれており、もちろん、中に入ることはできない。 「唯一神明造」の古代の様式を伝え、茅葺きの屋根には10本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、4本の千木(ちぎ)の先端は水平に切られている。 ちょうど、御正宮は式年遷宮の準備が行われていた。
荒祭宮(あらまつりのみや)
荒祭宮は内宮正宮北方にある。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。荒祭宮を「荒魂を祭る宮」の意味とするのが定説である。
天照大神荒魂を祀る内宮の別宮は境外に瀧原竝宮(たきはらならびのみや)があるが、 荒祭宮は内宮に月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、瀧原宮、瀧原竝宮、伊雑宮、風日祈宮、倭姫宮と、あわせて10ある別宮の中で第1位とされる。 他の別宮よりも社殿が大きく、神御衣祭(かんみそさい)は外宮(豊受大神宮)では行なわないが、内宮正宮と荒祭宮では毎年5月と10月に行なわれる。
内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の籾種石(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、 稲を納める御稲御倉(みしねのみくら)、古い神宝を納める下幣殿(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、 次の石段を上った先に荒祭宮がある。この時に降りる石段には4つに割れ「天」の字のように見える石がある。 この石は踏まぬ石と呼ばれ、避けて通らなければならないとされる。踏まぬ石は天から降って来たと伝えられるが定かではない。
荒祭宮に参拝できない場合のため、籾種石の近くに石畳の荒祭宮遥拝所が設けられている。
新御敷地(しんみしきち)
御正宮の敷地は東西に2か所あり、20年に1度の式年遷宮(しきねんせんぐう)で社殿が新しく建て替えられます。平成25年にはここに新しい社殿が建てられます。
子安神社(こやすじんじゃ)
年末年始のにぎわいが有名な伊勢神宮ですが、神宮内の子安神社は、安産祈願の人が訪れる神社です。
元気な赤ちゃんが生まれますように・・・などの願いごとを書いて鳥居を奉納するのです。また、出産が終わってから、感謝の気持ちを書いての奉納もあります。
子安神社は、伊勢神宮内宮、宇治橋の東詰所から約50m、神宮司庁の南側にあります。
宇治橋を渡ってすぐ、御正宮に向かう道とは反対の方を見ますと、奥のほうに衛士見張所が目に入ります。そこが神宮司庁への道になりますので、まっすぐお進み下さい。 すると神宮司庁に行く手前に子安神社への入り口があります。
参集殿(さんしゅうでん)
参拝者用の休憩所で、神宮のビデオを上映しています。
ここには、能舞台があり奉納行事などに使われます。
ここでもお札やお守りを受けられます。
神楽殿(かぐらでん)
御祈祷のお神楽を行う御殿です。お札やお守りはここで受けられます。
宇治橋(うじばし)
宇治橋は伊勢の神宮の内宮の参道口にある長さ101.8m、幅8.42mの木造の和橋(わきょう、日本風の橋)で、橋の両側に神明鳥居がある。 五十鈴川に架けられたこの橋は内宮参拝時の記念撮影の名所になっており、内宮のシンボルとされる。 神宮の定義では宇治橋を渡った先は神域ではなく神苑であるが、崇敬者・参拝者は通常神域と扱うことから、一般に「俗界と聖界の境にある橋」とされる。
明治以降は神宮式年遷宮にあわせて架け替えられていた。 太平洋戦争での日本の敗戦直後に昭和天皇の指示で第59回神宮式年遷宮は無期延期とされ、のちに4年遅れの1953年(昭和28年)に行なわれることに決まった。 しかし宇治橋だけでも架け替えようと声が強く、宇治橋だけが当初の予定通り1949年(昭和24年)に架け替えられ、以降は神宮式年遷宮の4年前に架け替えられるようになった。 4年前に架け替えるようになったので社殿の造営と期間がずれ、遷宮に必要な大工の数が減らせるようになるとともに、 遷宮に対する参拝客の興味を長く引き止めることができるようになり、遷宮の資金面で役立っている。
五十鈴川御手洗場(いすずかわみたらし)
清らかさの象徴内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5年(1692年)徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したものといわれる石畳を敷き詰めた五十鈴川岸の御手洗場にでます。
神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となります。
神域の西側を流れる五十鈴川は別名「御裳濯(みもすそ)川」と呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという伝説があります。 水源を神路山、島路山に発する、神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮しましょう。
風日祈宮(かざひのみのみや)
風日祈宮は内宮の境内別宮である。祭神は外宮(豊受大神宮)別宮の風宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命で、 内宮神楽殿前から南方へ向かう参道にある風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)で五十鈴川支流の島路川を渡った先に風日祈宮がある。
風日祈宮御橋は長さ45.6m、幅4.6mで、内宮前の宇治橋を小さくしたような橋である。最初にかけられたのは室町時代の1498年(明応7年)で、 南端の擬宝珠(ぎぼし)に「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戌午本願観阿弥 敬白」と刻まれている。古くはこの橋がかかる川が五十鈴川本流とされており、 この橋を五十鈴川橋と呼んだ。もっとも長い川が河川の本流と定義され、島路川と呼ばれてからは風日祈宮橋と呼ぶのが一般的となった。
別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。内宮の別宮は風日祈宮のほか境内に荒祭宮(あらまつりのみや)1宮、境外に月讀宮(つきよみのみや)、 瀧原宮(たきはらのみや)、伊雑宮(いざわのみや)、倭姫宮(やまとひめのみや)ほか4宮があるが、風宮が別宮となったのは1293年(正応6年)で、 1923年(大正12年)創建の倭姫宮の次に新しく、順位は内宮別宮10社中9位とされる。
古くは現在の末社格の風神社であったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。
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